強制と主体性

こんにちは!

まず初めにブログの更新を遅くなってしまったことすみませんでした。25日金曜日の朝方から体調を崩してしまい、それが結構長引いてしまいました。その為、考えるという思考をうまく回すことが出来ず配信することが出来ませんでした。お詫び申し上げます。

では、早速ですが、前回の続きからいきたいと思います。前回はなぜうちのサッカー部が主体性を取り入れて活動をしているのか?でした。結論から言います。これからの社会で生きていくためには自分で考えてすぐに行動出来る人が生き残っていくからだと僕は思います。どういう事かと言うと、言われたことをやるAさん、言われたことが出来ないBさん、言われてないことをやるCさんがいたとします。ここでAさんとCさんを見てみるとAさんはしっかりと無難に仕事をこなしてそれなりの評価を受けていました。Cさんは自分で色々と考えて行動していましたが、「余計なことをするな」と怒られることがありました。ここでトラブルが起きた時、Aさんは何をすればいいのか分からず、パニック状態でした。一方Cさんは自分で考えてすぐに行動に移せるのでパニック状態にもならず落ち着いていました。仕事に戻っても言われたことをやっていたAさんよりも怒られていたCさんに重要な任務を任せるようになりました。AさんよりもCさんの方が出世しました。これからは自分で物事を考えて積極的に行動出来る人が求められていきます。そして、これからAIの時代に変わろうとしています。言われたことをやる人、言われたことが出来ない人はAIに押しつぶされ、職を失っていく可能性が出てきます。AIが発達してもっと世の中が便利になる反面、こういった危機感を同時に持たなければなりません。小学6年生の時の担任の先生が、クラスの目標で「深考自動」と言う言葉を掲げていました。読んでそのまま、深く考えて自ら動きましょう。という意味です。小学生の頃に大切なことを学んでいたんだと改めて気づきました。だから皆さんも胸に手を当てて今一度考えて行動してみてはいかがですか?Let's think!

 


迷ったら積極的な方を選ぶ。

 


自分が動けば、自分が変わる。人生が変わる。

 


「流 音弥」(作家)